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前橋地方裁判所 昭和51年(ワ)1号 判決 1979年4月25日

原告

高坂要吉

被告

村上文男

ほか一名

主文

被告村上文男は原告に対し、金四九三万一五六四円及びこれに対する昭和五一年一月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告村上文男に対するその余の請求及び被告村上九十九に対する請求を棄却する。

訴訟費用は原告と被告村上文男との間に生じた部分の一〇分の四を同被告の負担とし、その余をすべて原告の負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは、各自原告に対し、金一二三八万三七七八円及びこれに対する昭和五一年一月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

昭和四五年四月二三日午後七時四〇分ころ、群馬県伊勢崎市茂呂三八九番地先道路上において、被告村上文男(以下被告文男という。)は普通乗用自動車(群五ね一五五七号。以下被告車という)を運転して伊勢崎市上泉町方面から馬見塚方面に向い進行中、反対方向から進行してきた原告運転の原動機付自転車(伊勢崎市か六六号。以下原告車という)に自車前部を衝突させ、よつて、原告に対し後記傷害を与えた。

2  被告文男の責任原因

被告文男は前記道路を時速約五〇キロメートルで進行していたものであるが、同所は左にカーブをする前方の見通しの困難な場所であつたから、あらかじめ速度を調節し、できる限り道路の左側端に沿つて進行し、もつて事故を未然に防止すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り飲酒酩酊のうえ、漫然前記速度のまま道路の右側部分に出て進行した過失により、本件交通事故を惹起したものであるので民法七〇九条により原告の蒙つた後記損害を賠償する義務がある。

3  被告村上九十九(以下被告九十九という)の責任原因

被告九十九は、昭和四五年一二月二九日、被告文男の原告に対する右損害賠償債務の履行につき連帯保証をした。

4  傷害の部位・治療経過及び後遺症

本件事故により、原告は、頭部挫傷、顔面裂傷、右下腿両骨開創骨折等の傷害を受け、事故当日の昭和四五年四月二三日から同四七年五月一〇日まで訴外伊勢崎福島病院及び温泉研究所付属沢渡病院に、昭和五一年六月二五日から同年一一月五日まで群馬大学付属病院に、各入院し、右退院期間中及び付属病院退院後現在に至るまで伊勢崎福島病院・群馬大学付属病院に通院しているが、現在なお右下腿循環障害及び交感神経異常の後遺障害が残存している。

5  損害

(一) 治療費 金四六万一一三二円

昭和五〇年四月一日から昭和五二年一〇月二一日までに前記のとおり福島病院・群馬大学付属病院に入院・通院した治療費。

(二) 入院雑費 金三四万二二〇〇円

昭和四五年四月二三日から同四七年五月一〇日までの入院一日当り金三五〇円の割合による分と、同五一年六月二五日から同一一月五日までの入院一日当り金六〇〇円の割合による分。

(三) 入院付添費 金七一万二五〇〇円

前記伊勢崎福島病院に原告が入院していた日数のうち、四七五日間原告の妻が家業の下駄屋をしめて付添看護にあたつたので一日金一五〇〇円の割合による金員。

(四) 逸失利益 金八一七万八三五二円

原告は、本件事故当時六〇歳の健康な男子であり、訴外理研プラスチツク工業株式会社高崎工場に勤務し月額金八万五七八二円の収入を得ており、一〇年間は就労可能であつたところ、本件事故により就労不能となり、得べかりし利益を失なつたので、ホフマン式計算法により原告の逸失利益を計算すると金八一七万八三五二円となる。

(五) 慰謝料 金五四〇万円

原告は本件事故により前記のとおり二九か月に及ぶ入院を余儀なくされたのでその精神的苦痛を慰謝するため金二九〇万円、五年余に及ぶ通院中の精神的苦痛を慰謝するため金一〇〇万円、前記後遺障害による精神的苦痛を慰謝するため金一五〇万円合計金五四〇万円の慰謝料を請求する権利がある。

(六) 弁護士費用 金一〇〇万円

6  損害の填補

原告は、自賠責保険から後遺症補償として金一三一万円、被告らから金五〇万円の各支払を受けた。

7  よつて、原告は、被告ら各自に対し、右損害額総額から支払いを受けた金一八一万円を控除した金一四二八万四一八四円の内金一二三八万三三七八円、及びこれに対する、被告らに本件訴状が送達された日の翌日である昭和五一年一月一四日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実は認める。

2  同3の事実のうち、被告九十九が抗弁1記載の示談契約による被告文男の原告に対する債務を連帯保証したことは認めるがその余は否認する。

3  同4のうち、原告がその主張する傷害を受けたことは認め、その余の事実は不知。

4  同5は争う。

5  同6の事実は認める。

三  抗弁

1(一)  被告らは、昭和四五年一二月二九日原告との間で次のような示談契約を締結した。

(1) 被告らは、原告の過去ならびに将来における一切の治療費を支払う。

(2) 被告らは、原告の休業補償費、入院諸雑費、その他を含む損害賠償として昭和四六年六月末日までに既払分を含めて総額金五〇万円を支払う。

(二)  原告は、右示談契約により本件事故に関するその余の損害賠償請求権を放棄した。

2  被告らは、昭和四六年二月一九日前項(一)(2)記載の金員の支払を完了した。

3  被告らは、昭和五〇年四月一八日までに原告に対し、同年三月三〇日までに発生した治療費金九五万七九七五円の支払をなし、原告は同日、被告らに対し、同年三月三一日以降に発生する治療費等の填補賠償債務の支払を免除した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)の事実は認め(二)の事実は否認する。

本件示談契約は、被告文男の刑事責任を軽減するため公判廷に提出するということで被告らから懇請されて便宜上作成したものであり、被告らの主張する金五〇万円は見舞金ないしは損害賠償の内入金として受領したものに過ぎない。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実のうち、原告が被告ら主張の金員の支払いを受けたことは認めるがその余は否認する。

五  再抗弁

本件示談契約締結当時原・被告らにとつては原告が爾後一四か月も入院し更に通院治療をなし、その結果漸く昭和四七年一一月三〇日に症状が固定した後も後遺障害が残存する事態に至ることは予測できなかつたことであり、本件示談契約の拘束力は同契約後の入・通院期間の休業補償慰謝料、後遺障害に基づく損害にまでは及ばないものである。

六  再抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  被告文男が原告主張の日時場所において、原告主張のとおりの過失により被告車を原告車に衝突させ、原告に対し、その主張のような傷害を負わせたことは当時者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一ないし第三号証、第四号証の一ないし七、第五号証の一ないし八、第九号証、第一二号証の一ないし六、第一三号証の一ないし一六、第一五号証の二ないし一八、第一六号証の一なしい一〇、第一七号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故により事故当日から昭和四六年四月六日まで伊勢崎市大手町所在伊勢崎福島病院に入院し、同月七日から同年五月三〇日まで社団法人群馬県医師会温泉研究所付属沢渡病院に、同年六月一日から昭和四七年二月二八日まで再び右伊勢崎福島病院に、各入院し、同年三月一日から同年四月八日までは同病院に通院したものの、再び同月九日から同年五月一〇日まで同病院に入院し、その後これに通院して治療を受け、同年一一月一〇日、同病院において、右膝・足関節の拘縮(運動範囲膝関節屈伸一六〇度~五〇度、足関節底背屈一五〇度~八五度)、右足の疼痛・痺れ感・歩行痛(カウザルギー)の後遺症(後遺障害等級九級)を残して症状が固定したと診断されたが、原告はその後更に同病院に昭和四九年三月一日から同月一七日まで入院し、同月一八日から同五一年五月二八日頃まで、同年一一月八日、同五二年五月二四日から同年一〇月二四日まで同病院に通院し、更に昭和五〇年九月九日から同五一年六月八日頃まで群馬大学付属病院に通院し、同月二五日から同年一一月五日まで同病院に入院し、その後少なくとも昭和五二年一〇月二一日までは同病院に通院していたこと、が認められ、これに反する証拠はない。

二  そこで抗弁について判断する。

原告及び被告らが昭和四五年一二月二九日、抗弁1(一)記載の内容の示談をなしたことは当事者間に争いがないが、成立に争いのない乙第一号証によれば、右示談書には通常記載されるところのその余の請求権を放棄する旨の条項の記載がないことが認められる。

しかしながら、交通事故における示談に対する社会通念に鑑みると、一般に加害者において被害者に対し一定の金員の支払いをする旨の示談をなした場合には、残余の請求については、これを放棄する旨の明示の意思表示のない場合でも、当事者の意思としては、右示談により当該事故について全てを解決する、即ち、右示談に定める以外の請求権はこれを放棄するものであると見る余地があるので以下に本件示談前後の状況を検討する。

成立に争いのない乙第一号証、第一一号証の三、四、第一二号証の三、及び証人高坂志ず枝、原告本人、被告文男本人、同九十九本人の各供述を総合すると、

被告らは、被告文男が本件事故につき刑事責任を問われていたので当初は原告と早期に示談を成立させようとしたが、原告は未だ入院中で退院の見込みも立たない状態であつたのでこれに消極的であつたこと、しかし、被告らにおいて本件事故に関し原告に対し殆んど何らの支払いもしなかつたため、原告も医療費の支払いに窮し、生活も困窮したので、被告らに対し示談金として差当り金一〇〇万円の支払いを要求し、被告らも総額においては一応納得したが、分割払いを求め、一時払いを主張する原告側と意見が対立し、交渉は結局不調になつたこと、その後、昭和四五年一一月二八日、被告文男に対して前橋地方裁判所で禁錮八月に処する旨の実刑判決が言渡され、同被告はこれに不服を申立てたこと、この控訴審継続中示談交渉が再開され、昭和四五年一二月二九日に前記のとおり当事者間で一応合意に達していた金一〇〇万円の半額を更に分割払いするという被告らにとつては実質的に相当有利な条件の本件示談が成立したこと、本件示談契約の文言は、原告の子である訴外高坂三郎がその知人である菅野某の助力により作成したものであり、被告らはその内容に何ら変更を加えることなく承諾して署名したものであること、当時原告は前記伊勢崎福島病院に入院中であり、後遺症の有無・程度について予測が出来ないのは勿論、退院の見込も立たぬ程の状態であつたこと(実際原告は本件示談成立後も翌四六年四月六日まで右病院に引続き入院し、翌七日から五月三一日まで前記温泉研究所付属病院に入院したが根治せず、再び同年六月一日から翌四七年二月二八日まで、同年四月九日から五月一〇日まで右福島病院に再入院し、漸く同年一一月三〇日後遺症を残存したまま症状固定したものと診断されたが、その後も入・通院をしていることは前認定のとおりである)、原告は本件提起に至るまで被告らに対し治療費以外の請求をしたことはなかつたが、原告において交通事故の損害賠償につき十分な知識は有していなかつたこと、本件示談契約締結及び金五〇万円支払いの事実は前記刑事控訴審において主張・立証され、結局被告文男の刑は禁錮六月に減縮されたこと、

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

右の事実及び前認定のとおり本件示談においては明確な権利放棄条項が欠落していること並びに原告本人尋問の結果を総合すると、本件示談は、被告側においては被告文男の刑事責任を軽減する意図、原告側においては治療費の支払い及び生活費に困窮していたため当座これらのものを確保する意図、という両者の思わくにより早期に成立したものであり、原告としては本件示談までの損害はこれによることとするが、将来生ずべき損害についてまで権利を放棄する意思はなかつたこと、即ち、原告は本件示談により、示談当日までの全損害賠償債権を、治療費及び金五〇万円を越える分については放棄したけれども、右契約日より後の損害については権利放棄はなしていないものと言わなければならず、これに反する被告九十九の本人尋問の結果は採用できない。なお、前掲乙第一一号証の四によれば当時被告文男の月給は諸手当を除き金三万二九〇〇円に過ぎないことが認められるので本件示談に定められた金五〇万円はその一五か月分以上に相当することとなり、又、本件示談には治療費については将来分につき明確な取決めがあるけれども、これらの事実をもつてしては前記認定を左右するに足りず、他の前記のような権利放棄を認めるに足りる証拠はない。

次に成立に争いのない乙第一〇号証及び被告九十九、同文男の各本人尋問の結果によれば、原告は、昭和五〇年四月一八日、被告らに対し、同年三月三〇日までに発生した治療費の支払いを受けた際、被告らに対し、同月三一日以降発生する治療費填補賠償債務を免除したことが認められ、これに反する原告本人尋問の結果は右各証拠及び前記認定のとおりの治療の経過、右時点は本件事故後既に五年も経過していたことに照らし、たやすく措信できず他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

三  被告文男が本件被告車を運転しその過失により本件交通事故を惹起して原告に対しその主張する傷害を負わせたことは前記のとおり当事者間に争いがないので同被告は民法七〇九条に基づき昭和四五年一二月三〇日以降原告に生じた治療費以外の後記損害を賠償する義務があると言うべきである。

これに反し被告九十九については右に説示した示談契約上の被告文男の債務を連帯保証したことは当事者間に争いがないが、その余の債務につき連帯保証したことを認めるに足りる証拠はなく、右示談契約上の債務についても金五〇万円については支払い済みであることは当事者間に争いがなく治療費については原告において債務免除したことは前認定のとおりであるから、被告九十九は原告の損害を賠償する責に任ずる謂れはないと言わなければならない。

四  前記認定したところに従つて損害額を算定すると左記のとおりとなる。

1  入院雑費

昭和四五年一二月三〇日から同四七年二月二八日まで、同年四月九日から同年五月一〇日まで、同四九年三月一日から同月一七日まで合計四七五日間については、長期間の入院なので一日当たり金三〇〇円が相当であり、同五一年六月二五日から同年一一月五日まで一三四日間については一日当り金五〇〇円が相当であるので合計金二〇万九五〇〇円。

2  入院付添費

成立に争いがない甲第六号証によれば昭和四五年一二月三〇日から同年八月一〇日まで二二四日間原告の妻志ず枝が付添看護したことが認められ、前記認定の原告の症状からして右付添看護は必要な範囲であつたと認められるので一日当り金一一〇〇円計金二四万六四〇〇円。

3  休業損害及び後遺症による逸失利益

成立に争いのない甲第八号証及び原告本人尋問の結果によれば原告は本件事故当時訴外理研プラスチツクス工業株式会社伊勢崎工場に勤務し、月金六万六三八七円の給料を支給されていたこと、原告は当時六〇歳六月の健康な男子であつたことが認められ、右事実からすると本件事故がなければ原告は少なくとも事故後七年間は右と同額の給料を受けえたことが経験則上推認されるところである。

そして、前掲甲第一七号証及び前記の治療経過に鑑みると、原告の症状は昭和四七年一一月三〇日に固定したものとみるのが相当であるから(なお右時点は原告の主張するところでもある)、原告は本件事故により、昭和四五年一二月三〇日から同四七年一一月三〇日及びその後の入院期間中である昭和四九年三月一日から同月一七日まで、昭和五一年六月二五日から同年一一月五日までは前記給与の全額の得べかりし利益を失なつたと見るのが相当である。

しかしながら、原告本人尋問の結果によれば原告は昭和七年から下駄屋を経営し、本件事故の四〇日前から前記工場に勤め始めたに過ぎないものであることが認められるので、この事実と前記後遺症状を総合考慮すると、前記症状固定時点以後は原告は右後遺症により三割五分の労働能力を喪失したものと解すべきであり、右時点以後(但し現実の入院期間中は除く)前記金員の三割五分に相当する得べかりし利益を失なつたものと言うべきである。

以上に従つて、ライプニツツ式計算法により中間利息を控除して計算すると次のとおり合計金二四八万五六六四円となる。

66,387×{4×0.9523+12×0.907+7×0.8638+17/31×0.8227+(4+12/30)×0.7106}=1,614,372

66,387×{12×(5.7863-1.8594)-7×0.8638-17/31×0.8227-(4+12/30)×0.7106}×0.35=871,292

4  慰謝料

前記認定のとおり(但し昭和四五年一二月三〇日以降の分)の入・通院に対する慰謝料は右入・通院が特に長期にわたつた事実を考慮すると金一八〇万円、後遺症(九級)に対する慰謝料は金一〇五万円が相当である。

5  原告において右後遺症に対する補償として自賠責保険から金一三一万円の支払いを受けたことは当事者間に争いがないので

右1ないし4の損害額の総額からこれを控除すると金四四八万一五六四円となる。

6  弁護士費用

本件事案の難易、訴訟額・認容額に照らすと本件弁護士費用としては右損害額の約一割である金四五万円が相当である。

五  以上によると原告の被告文男に対する本訴請求のうち、金四九三万一五六四円及び同人に対し訴状の送達された翌日であることが記録上明らかな昭和五一年一月一四日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、被告九十九に対する請求は全て失当なのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し主文のとおり判決する

(裁判官 満田明彦)

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